あの日の記録

推しは神様じゃないけど解釈は信仰

強がりすぎないで、っていうのはオタクの言うことじゃないと思った

前置き

  • 推しに「強がりすぎないで」って言いたかった話と、実際それを言うのはやめておこうと思った話
  • ここの前半に書いてるようなことを、ちゃんと私の中で昇華した上で100枚くらいオブラートに包んで本人宛の手紙に書こうかとも考えたんですが、そもそも上手くまとまらないし、やっぱりオタクの分際で言うことじゃないと思うので、備忘録的にここに残しておきます

本題

主演舞台が2本続けて吹っ飛んでしまって、推しに対して何と言葉をかけたらいいのか分かりません。片方(以下、作品A)は、最後まで通しで稽古がついていて、あとは劇場入りという段階だったと聞いています。一方でもう片方(以下、作品B)は、稽古すら始まっていない段階での中止決定。状況は大きく違いますが、どちらもおつらいことに変わりはないだろうなと想像しています。

私は、推しは基本的にはすごく前向きな人で、過ぎたことを考えるより次どうするかを考えるタイプなんだろうなと勝手に思っています。私たち観客に向けて何かを発信されるときにも、あまりネガティブな言葉を使わないように配慮されているように感じます。それがメディアの取材でも、カテコの挨拶でも、コンサートのMCでも、Twitterでも、FC会員向けのコンテンツであっても、区別なく。

それはとてもありがたいことです。何度も何度も、そのしなやかな強さに助けられてきました。そうやってしっかり立っていて下さることが、私にとっての1つの希望でもありました。

でも今、その強さの裏に大変な苦しみや悲しみが潜んでいるように感じる瞬間が多くて、無理してるんじゃないかな、って思うことが増えました。作品Aに寄せられた動画でのコメントも、作品Bの中止を受けての発言も、ポジティブな内容に反してどこか影があるように思えて、勝手に心配しています。

もちろん、こんなことになってしまって、推しが落ち込んでいないとは全く思っていないし、つらそうな姿を見せるなと言いたいわけではありません。逆です。落ち込んでいていいんです。心血を注いでやってきたことが自分以外のどうしようもない要因のせいで中止になってしまったら、どこに気持ちを持っていったらいいのか分からなくなって当然だと思います。特に作品Bは、推し自身にとってとても思い入れのある作品だと常々仰っていただけに、尚更。

だから、無理に笑ったり、つらい気持ちをこらえてポジティブなことを言ったりしなくていいんじゃないの、って言いたいです。強がりすぎないでねってことです。いつもいつも必ず前だけを見ていてほしいと思ってるわけじゃないので。泣きたいときは泣いていいし、悲しいときは悲しいって言っても大丈夫ですよ。

それでも、強くありたいと願い、実際強くあることが、推しのプライドなんだろうな、とも思います。こんなときだからこそ明るい歌を歌いたいと思ってくださることや、ピアノを弾きながら楽しそうに歌ってくださることも、1人のアーティストとしての矜恃なんじゃないかなあ、とも。そういう自負があることを否定する気は毛頭ないです。ただ、それでかえって自分の首を絞めているようにも見えて、ちょっと複雑なだけです。

そうやって自分に厳しいところも、尊敬してるし好きなんですけどね。今はどうにも、脳内お花畑で「すごーい!」って言ってもいられないなあと思ってしまいます。とはいえ、こちら側には見せないところで、ちゃんと苦しいことは苦しいって言えてるならそれでいいかな。悲しそうな顔が見たいってことでも決してないですし。(それどんな屈折した愛情? 推しには笑っていてほしいよ私は。)

ということで、結論としては、強がりすぎないでねって言いたかったなあってことです。以上、この話は終わり。


ところで、この話を本人宛に手紙に書こうとしてやめたってことは上にも書きましたが、実際、こういうことを考えてるときって、本人に伝えるべきかやめておくべきか迷いません? 私の場合はまず言わないんですけど、言う人は言ってるでしょうし。

この話の場合は、一見推しのことを思いやって書いてるようにも見えるかもしれませんが、突き詰めていけば結局「あなたが無理してるのを見ている私がつらいのでやめてください」って言ってるだけにすぎなくて、それってただのわがままなんじゃないかって思うんですよ。極端に言えば、「私はあなたの顔を見たくないので公の場に出てこないでください」って言うのと同じようなものな気がします。推しに対して一方的に要望をぶつけるって点において。

あと、単にめちゃくちゃ余計なお世話ですよね。この推し、私より遥かに年上だし、しっかりしてるし、こんな生意気な小僧に心配なんざされたくねえだろうなって思ってます。すぐ推しの心配をする癖、本当に良くない。

とにかく、言いたいって思う人がそれを実行するのを止める気はないし、言いたければ(最低限表現には気をつけて)推しに伝えてあげればいいと思うんだけど、私自身はやっぱりそれを言うのは気が引けてしまいます。

そう、私は所詮オタクですからね。これが推しの家族や友達や仕事上の関係者だったらまた話は違うんでしょうが、私はただのオタクでしかない。推しの側は私を知らなくて、こっちがただ勝手に追いかけてるだけですから。そんな相手から手紙が届くってだけでちょっとしたホラーなのに、その中に「〜〜してください」って書いてあったら、そりゃ困惑して気持ち悪がるだろうなとしか思えないんですよ。仮にそこまでの拒絶感じゃなかったとしても、その意見をありがたがるわけもないし。

だからいつも手紙には「○○のシーンの演技に心を動かされました」とか「□□(曲名)が好きでずっと聴いてます」とか「次の△△(イベント名)も楽しみです」みたいなことしか書かないです。というか書けないでいます。

この辺、推しとの関係性によっても全然違うだろうし、個人の考え方によってもまた様々だと思うので、よかったら、僕・私はこうだよ〜みたいなの教えてください。聞きたい、隣の推し事情&お手紙事情。

というわけで、今度こそ本当に終わりです。ここまで読んでくださった方がいるのなら、お付き合いありがとうございました。